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青森県の誕生

○青森県の誕生

 幕末の争乱において、諸藩は勤王、佐幕の間でその政治的対応に揺れましたが、青森県ゆかりの津軽藩、南部藩(盛岡藩)においては対応の明暗が分かれました。津軽藩は最終的には勤王方についたこともありそのまま存続を許されましたが、南部藩にあっては最後まで佐幕の姿勢をとったため、領地の大幅な削減や多額の賠償金の支払いを求められました。
 こうした政治対応の差は、その後の廃藩置県に至る行政区画の改変・統合に大きな影響を与えることとなりました。すなわち、南部藩(盛岡藩)は明治維新後、ただちに江刺県や九戸県(後に八戸県、さらに三戸県)として明治政府の直轄地である「県」に編入された一方、津軽藩(弘前藩)や黒石藩、また八戸藩や南部藩の支藩である七戸藩などは一応旧体制のまま1871年(明治4年)7月14日の廃藩置県の日まで存続することができました。
 なお、幕府方の主力であり、官軍の総攻撃を受け敗北した会津藩は28万石の領地を没収されたが、1869年(明治2年)に表高3万石の小藩(斗南藩)として再興が許され、今の下北地方に移されました。この斗南藩も含め、廃藩置県による合県により1871年(明治4年)9月4日には弘前県が誕生しましたが、そのわずか19日後には青森県と改称されて県庁も青森に移ったのです。
 なお、この県都の移転については、北海道との交通の利便性や、県土における地理的バランスが考慮された結果であるといわれています。その後、旧舘県の開拓史への移管、二戸郡の岩手県への分離・編入などを経て1876年(明治9年)5月25日に現在に至る青森県の行政区画が誕生しました。

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